皇都住 吟松亭東明(花押) 粟穂小禽図縁頭
- 古美術 市之蔵
- 2025年12月10日
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更新日:2025年12月11日


荒木東明の生まれは、米商兼貸物屋の与平の長男として、文化14年(1817)京都の上京区十二組大猪熊町で生まれました。
13才で後藤東乗に師事し、初銘を秀信と名乗りました。同門には佐藤東峰などがおり、師銘の東の一字を許され東明と改名しました。
その他にも、色々な銘がありますが、免許されて使用している字で言えば、後藤一乗の一の字を一斎東明として使用していたりもしています。
東明は粟穂の彫技をもって、当時から著名であり、この画題では多くの力作を遺しております。これの下絵は林蘭雅との交流によって得たものであると云われています。
粟穂以外にも違う画題作はありますが、代表的な粟穂に注目すると、東明作品の粟穂は、実の部分が金無垢であることが多く、他にも素銅、四分一、銀を用いています。
穂先の鋭く尖った状態などから匠技である事は分かりますが、この粟穂は彫っているのではなく、独自の形の鏨を打ち込んで粟の実を表現しており、専売特許ともいえる描写的な表現の実現をしていたのでした。
東明を調べていて、家柄的には彫金に早くから携わる事がないのに子供の時に既に入門していたので不思議でしたが、東明が丑年生まれの子であった事から、長男でも別戸とされ、この世界へ入った様です。
丑年生まれでそんな扱いを受けた事も昨今では信じられない事ですが、そういった事が無ければ、この粟穂はこの世に無かったのかも。と、深く思い巡らせるのでした。
追記※丑年の次男は長男を追い出すという云われは各地にある様ですが、武家の習わしと商人とでは真逆な事も多い様です。力が発揮されるよう、別戸としたのかもしれません。